日本への感謝 Fromスリランカ
昨年、スリランカを旅行したとき、スリランカ人のガイドさんから
いろんな話を聞くことができました。
沖縄から台北、バンコクと飛行機を乗り継ぎ
スリランカのコロンボ空港に夜遅く到着。
長時間のフライトに疲れた体を休めるために宿泊したのが
空港近くの海岸沿いのリゾートホテルでした。
到着した時、白い外壁のホテルのオープンエアの向こう側は真っ暗で、
風でザワザワとやさしくゆれるヤシの葉や、
寄せてはかえす波の音、潮の香りで
海が近いことが感じられました。
朝起きたら、お部屋のベランダから見えたのは
ヤシの林や目の前に広がる優雅にくつろげそうなプール。
赤土色の砂浜とスリランカとインドの間にあるラッカティブ海が
眼下に広がっていました。
オープンエアのダイニングで、海の風を感じながら
スリランカで初めての朝食を優雅にいただいたあと
目的地である内陸部の村を目指して、
私たちのこじんまりとしたグループのバスは出発しました。
のどかで平穏な漁村の風景が広がる中を
バスはすすんでいきます。
「
あそこにいるのは、野良牛です」と
いちいち丁寧に説明してくれるガイドさん。
野良犬ならぬ、野良牛fがのんびり、村人と共存している
沖縄ではみなれない風景に驚いた私と娘です。
「
日本の東北の地震は大変でしたね。
スリランカでもニュースで連日大きく報道され、
多くのスリランカ人か感心をもち、祈り、
被災した方々のために寄付しました」と話してくれました。
2004年12月のスマトラ島沖大地震の時は、スリランカの沿岸部も、
政府が国家非常事態宣言をだすほど多大な被害を受けたそうです。
「
津波のあと、スリランカに最初に到着してくれたのは
日本の救助隊でした。
私たちは日本の皆さんにはとても感謝しています」
まさかあのインドネシアの地震の影響で
津波の被害がスリランカまで及んでいたとは…認識不足の私でした。
(私がフルタイムでお仕事していた頃だから、自分や家庭でいっぱいいっぱいで、
海外ニュースまで詳細に心を寄せる余裕なんてなかった頃です)
ガイドさんの日本への感謝の言葉は、
日本国籍を持つものとして、素直に嬉しかったです。
災害がある度に、迅速に被災国や被災地へ赴き、
地道に人命救助や医療支援を行なってきた
日本という国の美徳を
スリランカで肌で感じることができました。
だから二年前の日本の地震の時も、いろんな国の方々が、
東北で被災された方々の為に祈り、メッセージを寄せ、寄付をし、
救助隊を派遣するなど実際に行動してくれたと思います。
同じ痛みを経験した国として
遠く離れた国の見知らぬ人々に感謝して
いまだに思ってくれてる人々が
スリランカにもいることを感じました。
被災地の方々は孤独ではありません。
沖縄でも、スリランカでも想いを寄せる人がいます。
このことをただ伝えたいと思います。
3月11日の今日、ガイドさんとのやりとりが心に響いています。
2004年 インドネシア「の津波がスリランカに伝わった様子
→
http://en.wikipedia.org/wiki/File:2004_Indonesia_Tsunami_Complete.gif
私たちが納める税金や寄付が
「霞ヶ関の論理」でねじまげられることなく
被災地の方々の経済的自立の援助や、
心地よい住宅環境や街づくりのために
きちんと使われますように…
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