2013年03月11日
日本への感謝 Fromスリランカ

昨年、スリランカを旅行したとき、スリランカ人のガイドさんから
いろんな話を聞くことができました。
沖縄から台北、バンコクと飛行機を乗り継ぎ
スリランカのコロンボ空港に夜遅く到着。
長時間のフライトに疲れた体を休めるために宿泊したのが
空港近くの海岸沿いのリゾートホテルでした。
到着した時、白い外壁のホテルのオープンエアの向こう側は真っ暗で、
風でザワザワとやさしくゆれるヤシの葉や、
寄せてはかえす波の音、潮の香りで
海が近いことが感じられました。
朝起きたら、お部屋のベランダから見えたのは
ヤシの林や目の前に広がる優雅にくつろげそうなプール。
赤土色の砂浜とスリランカとインドの間にあるラッカティブ海が
眼下に広がっていました。

オープンエアのダイニングで、海の風を感じながら
スリランカで初めての朝食を優雅にいただいたあと
目的地である内陸部の村を目指して、
私たちのこじんまりとしたグループのバスは出発しました。
のどかで平穏な漁村の風景が広がる中を
バスはすすんでいきます。
「あそこにいるのは、野良牛です」と
いちいち丁寧に説明してくれるガイドさん。
野良犬ならぬ、野良牛fがのんびり、村人と共存している
沖縄ではみなれない風景に驚いた私と娘です。
「日本の東北の地震は大変でしたね。
スリランカでもニュースで連日大きく報道され、
多くのスリランカ人か感心をもち、祈り、
被災した方々のために寄付しました」と話してくれました。
2004年12月のスマトラ島沖大地震の時は、スリランカの沿岸部も、
政府が国家非常事態宣言をだすほど多大な被害を受けたそうです。
「津波のあと、スリランカに最初に到着してくれたのは
日本の救助隊でした。
私たちは日本の皆さんにはとても感謝しています」
まさかあのインドネシアの地震の影響で
津波の被害がスリランカまで及んでいたとは…認識不足の私でした。
(私がフルタイムでお仕事していた頃だから、自分や家庭でいっぱいいっぱいで、
海外ニュースまで詳細に心を寄せる余裕なんてなかった頃です)
ガイドさんの日本への感謝の言葉は、
日本国籍を持つものとして、素直に嬉しかったです。
災害がある度に、迅速に被災国や被災地へ赴き、
地道に人命救助や医療支援を行なってきた
日本という国の美徳を
スリランカで肌で感じることができました。
だから二年前の日本の地震の時も、いろんな国の方々が、
東北で被災された方々の為に祈り、メッセージを寄せ、寄付をし、
救助隊を派遣するなど実際に行動してくれたと思います。
同じ痛みを経験した国として
遠く離れた国の見知らぬ人々に感謝して
いまだに思ってくれてる人々が
スリランカにもいることを感じました。
被災地の方々は孤独ではありません。
沖縄でも、スリランカでも想いを寄せる人がいます。
このことをただ伝えたいと思います。
3月11日の今日、ガイドさんとのやりとりが心に響いています。
2004年 インドネシア「の津波がスリランカに伝わった様子
→ http://en.wikipedia.org/wiki/File:2004_Indonesia_Tsunami_Complete.gif
私たちが納める税金や寄付が
「霞ヶ関の論理」でねじまげられることなく
被災地の方々の経済的自立の援助や、
心地よい住宅環境や街づくりのために
きちんと使われますように…
「霞ヶ関の論理」でねじまげられることなく
被災地の方々の経済的自立の援助や、
心地よい住宅環境や街づくりのために
きちんと使われますように…
この記事へのコメント
私は最近、日本は第二次大戦後のスリランカ大統領の愛あるスピーチによって、国際社会に復帰することができ、国家分断の危機を免れることができたことを知りました。
私たちは当時のスリランカの大統領やスリランカ(旧セイロン)にいっぱい感謝しないといけないな~と感じてます。
私たちは当時のスリランカの大統領やスリランカ(旧セイロン)にいっぱい感謝しないといけないな~と感じてます。
Posted by ルミナス
at 2014年03月12日 11:58
